70年代ジャズ喫茶のマッチ箱

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    ジャズ喫茶ではないものや80年以降なども混ざっていますが、ご容赦ください。

70~80年代のジャズコンサートのチケット

  • Yamashita_yosuke_montreux_afterglow_1976
    1970年代~80年代中頃のジャズ、フュージョンのコンサートのチケットです。

70年代~80年代初頭のロックコンサートのチケット

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    1970年代~80年代初頭のロックコンサートのチケットです。 説明文に間違いがあったらご容赦ください。

JAZZ CLUB タローの1974-1977 ライブ・スケジュール表

  • Jazz_club_taro_1977_03
    昔、新宿歌舞伎町にあったJAZZ CLUB タローの1974-1977 ライブ・スケジュール表です。1975年のみコンプリートです。

JAZZ CLUB PIT-INNの1974-1977 ライブ・スケジュール表

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    JAZZ CLUB PIT-INNの1974-1977 ライブ・スケジュール表です。どの年もコンプリートではありませんが。

70年代中央線沿いライブハウスのスケジュール表

  • Aketa_1977_01
    70年代半ば、中央線沿いライブハウスのスケジュール表です。少しだけですが。
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2012年7月

夢日記: 真夏の夜の夢「きれいな湖」

「きれいな湖があるんだ。見にいくかい?」
「うん、行ってみる。」
おいらは、彼の後ろに続いた。

滑り台の斜面のような、幅1mにも満たない真っ直ぐな一本道。
凹凸のない舗装されたような平坦面だが、急勾配の上り斜面だった。
勾配は半端じゃない。70度以上だ。
足首の屈曲角度を超えている。
それでも靴底はしっかりと地面を捉え、滑る気配はない。

意外と簡単だな。しばらく歩いた。
頂上が見えてきた。頂上は丁度滑り台のてっぺんのようだ。
てっぺんは広大な台地状に広がっているのだろう。
しかし、頂上への上り口は、ほぼ垂直に切り立った壁だった。
最大の難所が控えていたのだった。

先を行く彼は、軽くその壁を越え、頂上の向こう側へスッと消えた。
彼の横顔がみえた。
どこかで見たことのある顔だ。加藤和彦氏ではないか。
勿論、私は知り合いでも何でもないのだけれど。
彼は頂上に消えたあと、パラダイスへと辿り着いただろうか。。

下を見ると、何十メートルもの高所へ来ていることに気付いた。
自分は歩いてきたのではない。登ってきたのだった。
この角度で重力に逆らってとどまっていることが不思議だ。

滑れば、気を抜けば、地上へ真っ逆さまだ。命はない。
まずい。おいらは高所恐怖症だった。
なぜこの状況に今まで気付かなかったのか。
急に滑落の恐怖感に襲われた。

頂上への上り口には、がっしりとした棒のようなものが水平方向に突き出している。
それを掴んで身体をそこへ引き寄せ、ググッと上体を頂上へと滑り込ませればよいのだ。
しかし、おいらの身体は、意識ととも既に硬直していた。

頂上は、柵も何もない絶壁で包囲されているようだ。
おそらく頂上の中央部にはきれいな湖があるのだろう。
しかし、絶壁に囲まれた頂上は、依然として滑落の危険に満ち溢れた場所なのだ。
そんな危険な所へ行ってどうするのか。
湖を見て何になるのだろう。

湖を見たいという欲求は萎んでいた。
頂上へ上る気力は失せ、降りる術も知らない。
一体、どうすればよいのか。
残された選択肢は滑落することだけではないか。

あっけないものだよな。
これですべてお終いだ。
さよなら、 だね。。
・・・

滑落する寸前に、目が覚めた。


P.S. 何とも救いのない夢ではありませんか。
   しかし、滑落の寸前に目が覚めて救われているのでしょう。
   高所恐怖系の夢はたまに見ることがあるのです。
   覚えていたのでアップしてみた次第。
   何か象徴的な意味合いを容易に窺わせる内容ですが、
   まったく現実とは無関係なのです(笑)。   

練習2012 No.17 2012.7.29

2012.7.29(日)ホール 18:00~20:00

かなりの暑さ。猛暑日かな。

CDに収める楽曲のテイクは、またそのうちにということで、今日は、8月4日に演奏する2曲を集中的におさらいしましょう、ということなりました。
ホール客席で三角形で向き合う配置で練習しました。

(練習曲目)
 万葉の風
 Uki-Uki水汲みウォーク

夕食は、メンバーと夢庵にて。 チゲ豆腐 1辛^^

少年サンデー シェー! 昭和の思い出

昭和41年(1966)の少年サンデーの表紙が出てきた。50円か。。
シェー!おそ松くん、バンパイヤ、・・・

なぜ表紙をとってあったのかというと、その巻頭にレーシングカーの記事が掲載されていたからだ。
レーシングカー大好き小僧だったな。

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↓当時数々のレースで常勝街道をひた走るフォードGTが載っている。
 このGTカーの完成度は素晴らしかったと思う。長期間その基本形態を維持した。

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↓ル・マン24時間。 チャパラル2D、ポルシェカレラ6、フェラーリディノ、・・・
 ポルシェカレラ6:この車も実にかっこよかった。
 チャパラルはこれ以降も実に前衛的なデザインを試行するのだ。

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↓インディレーサーの特集記事。当時の名レーサーの名前がこれでもかというほど。。

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↓第3回日本グランプリ(1966)の記事。この年からフジスピードウェイで開催。
 メインスタンド前の直線から一気に突入する恐怖の30°バンクは、死亡者続出のため、後に廃止された。
 レースは、プリンス(まだ日産ではなかった)R380がワンツーフィニッシュ。
 ポルシェカレラ6(滝進太郎)はレース後半にクラッシュ、リタイア。

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↓(オマケ)ロータス40。タミヤ製ロータス40のパッケージ?
 当時、スロットレーシングカーが大流行した。
 タミヤのロータス40は当時の少年の憧れのモデルだった。

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練習2012 No.16 2012.7.21

2012.7.21(土)視聴覚室 18:00~19:30

笛さん体調不良のため、サックス氏と二人。
CDに使うために前回録音したテイクのうち再録音すべき曲を選出しましょうということで、先ず先のテイクを試聴。

全体的な出来は決して悪くないのだが、よく聴くとあちこち色々ありぃ。
パーカスの音が何だかぼやけているような気もしてきたが、録り直しても良いテイクが録れる自信もなく、録り直しの曲数が増えると負担にもなりそうなので、3曲のみ抽出した。
その3曲を2,3回練習して終了。

よしずばちがボロボロになってきた。
8月4日の演奏で使うから、また製作しなくちゃ。。

(練習曲目)
 万葉の風
 Uki-Uki水汲みウォーク
 蓮花

ロックに浸った日々(3) 文化祭 1970年代の思い出

高校2年の時の文化祭。
バンド演奏をすることになった我々。
バンド名などなかったと思う。
とにかく演奏することに意義がある。そんな感じだった。

クラスには、他にもギターの上手なやつがいた。
彼は学校外の友人とバンドをやっていた。
その彼のバンドと我々と2つのバンドで教室を使うことになった。
おいらはドラムなど持っていなかったから、その友人のバンドの
ドラマーのドラムを借りて叩くことになった。

椅子や机を後方に下げて積み上げた飾り気のない教室で我々は演奏した。
ドラムセットも決して立派なものではなかった。
しかし、音の良し悪しは問題ではなかった。
Black Night, Into The Fire, Heart Breaker, 孤独の叫び, ・・・
我々は、あまり客の入らない教室でただロックを響かせて演奏した。
単に大きな音を出すことで開放された。
そんな気がする。


高校3年の時の文化祭。
継続的にバンド活動をしていたわけではなかったけれど、我々は
昨年に続いてバンド演奏をした。
同じメンバーだったのだろうか。それしか選択肢はないのだが。
その辺の記憶が何とも不確かなのは情けない限りだ。

しかし、3年の時の文化祭には、また忘れられない思い出がある。

ひとつは、2年の時に比べると、ちゃんと聴いてくれるお客がいた
ということ。
演奏の合間にはベルボトムジーンズの似合う女の子たちと話もしたり。
ミュージシャンはモテる、という錯覚に陥ったのはこの時だった
のかもしれない(笑)。

もひとつは、ギターとベースを抱えたK高校の生徒が我々の部屋を
訪れたこと。
もちろん面識も何もない。
しかし、初めて顔を合わせた彼らと意気投合し、その場で一緒に
演奏することになった。
ハイウェイ・スター、スモーク・オン・ザ・ウォーターなどを演奏した。

彼らは上手かった。軽いアクションさえ身につけていた。
演奏もしやすかった。
このとき、セッションの楽しみを覚えたような気がする。
話をしてみると彼らはまだ高校1年生だった。
きっと「乱入慣れ」していたのかもしれない。
さすがK高校だな、と感心したのを思い出す。

なんだかんだ言っても、高校時代はロックのおかげで楽しく過ごさせてもらった。
ブログのタイトルは「70年代頃のジャズ」だが、やはりロックには感謝しないといけない。


The End


追記: 奇しくもこの記事をアップした日に、ディープ・パープルのジョン・ロード氏が天国へ旅立った。
また一人。。寂しい限りだ。
ここに謹んでご冥福をお祈りします。

Deep Purple - Highway Star (Denmark - 1972)

ロックに浸った日々(2) 初めてのバンド 1970年代の思い出

ロックに惹かれた私はドラムを叩きたくなった。
もちろんドラムなど叩いたことはない。
レコードを聴いてそれを真似ることから始めた。

バンドもやりたくなった。
ジミー・ペイジが好きなクラスメイトのM君とバンドやろう!ということになった。
ベースはビートルズ好きなI君がやるという。
ボーカルは、、困った。。いない。。
そんな話をしていたら、サッカー部のちょっとつっぱりなチビのFがやるという。
できるのか、、まあ、いいか。贅沢は言ってられない。

よし、放課後に音出しをしよう!
Mはグレコのレスポールモデルとアンプを携えて登校した。
おいらは、ドラムなんて持っていない。
とりあえず、皮なしのタンバリンを買い、それを持って登校した。
ベースのIは何も持ってきていなかった。。

いよいよ放課後だ。
音出しをするってんでギャラリーが何人か残っていたりする。
おいらはちょっと恥ずかしかった。
何せハードロックをやるというのに、バッグから取り出したのはタンバリンだ(笑)。

Mがアンプのスイッチを入れ、音を出す。
グヮ グヮ グヮ~~ン!
教室の窓ガラスが揺れるように音が響いた。
おお! ギャラリーも含め、皆が声を上げた。

よし、まずはツェッペリンのハート・ブレイカー!
Mが演奏を始める。
さすが完璧にジミー・ペイジをコピーしただけのことはある。
楽々とギターを弾きこなす。
おいらは、とりあえず、叩き方も知らぬタンバリンを、ジョン・ボーナムに
なったつもりで、とにかく振る。
ギターとタンバリンだけかよ!
知るかっ!

おお、それでも、とりあえず、無事に完奏した。
うん、これならいけるんじゃないか。
何となくそんな気がした。

よし、次は、パープルのInto The Fire だ!
ボーカルのF、歌えよ!
おお、さすがギターはバッチリだ。
タンバリンがビートを刻む。

おっ、ボーカルのF、一応歌詞を覚えてきたようだ。
まるで右翼系つっぱりの風貌のFが歌い始めた。
いいぞ、その調子!
そして、シャウトした!
Into the fire~♪

こうして、我々は文化祭でバンド演奏をすることを決定した。

(次回へ続く。)

ロックに浸った日々(1) ロックの魅力 1970年代の思い出

1970年代前半 高校生の私は、一時期ロックにのめりこんでいた。
ロック=ハードロック、そこには既存の音楽にはない破壊的な重い音があった。
ぶち壊せ! 反体制的な匂いに惹かれた。

と言っても、別に過激な生活を送っていたわけではない。
その辺にころがっている、よくいる高校生だった。

勉強は面白くなかった。成績もよくはなかった。
大体、勉強を一所懸命しているやつをバカにしていた。

じゃあ、何をやっていたかって、クラブ活動をするわけじゃない、
遊びに徹するでもない、不良にもなれない、学生運動も魅力はない、
熱くなれるものなんて何もない、
それでもしょうがなく、何となく学校に通っていた。
けっこうシラけたひねくれた高校生だったかもしれない。

ロックはそんなろくでなしのはけ口であったかもしれないが、
満たされない心の鬱憤を晴らしてくれる代弁者でもあったような気がする。

クラスメイトと学校帰りにロック喫茶に行くことが楽しみになった。
そこには、長髪を振り乱してロックに耽る若者がいた。
彼らと共に大音響に浸ることで生きている実感が得られた。

グランド・ファンク・レイルロード、ディープ・パープル、レッド・ツェッペリン、・・・
当時急速に来日し始めた外タレのロックコンサートにも行った。
彼らは華やかだった。やはりスーパースターだった。
大聴衆の中で聴く想像を超える大音量の音楽。
コンサートが終わった後しばらくの間治まらない耳鳴りさえ心地良かった。

しかし、ロックにのめり込む時間もそんなに長くは続かなかった。
結局、ロックという名前のものに、既知のものにない何かがあるという、
過剰な期待感を抱いていたのだろう。
様式化されたロックも所詮、商業主義に染まった音楽、というように感じ始めていた。
ロックは死んだ、などとほざいて、聴く時間は徐々に減っていった。

それでも、ロックが音楽であることに変わりはなく、今でも心の中の引き出しにそっと
しまってある大切な存在であることに変わりはない。

(次回へ続く。)

海賊ラジオ 1970年代の思い出

その昔、海賊ラジオというものがあった。
記憶は不確かなのだが、1970年代前半~中頃だったと思う。
1978年(昭和53年)9月に開始され1979年(昭和54年)2月に終了したという
「FM西東京」よりも前の話だ。

土曜日の午後。
周波数のダイアルをいじっていると、ロックを流す放送が聴こえてきた。

それは、正規の放送局の番組ではなかった。
高校生くらいのお兄ちゃんが、勝手に電波を飛ばしていたのだと思う。

その放送はロックに絞っていた。
ロックを聴き始めてそれにのめり込んでた私にとっては、同世代の若者が
ラジオではあまり聴けないロックを淡々と流すその放送がお気に入りだった。

今のようにデジタルでプリセットで選曲するようなステレオ装置ではこの
ような放送を見つけることはないだろう。
海賊ラジオで電波を飛ばそうと思う若者もいないだろう。

あの海賊ラジオのお兄ちゃんは今頃どこで何をしているのだろうか。


The End

「ESSA-Hoi」の動画全曲アップ 

2012年6月3日、八王子市役所そばの浅川河川敷で行われた野外イベント「みんなちがってみんないい2012」

この日このイベントにてデビューしたESSA-Hoiの演奏動画です。

↓一曲目のESSA-Hoiのテーマは、先日、You Tubeにアップしたものです。

http://youtu.be/XX2yFtoB3ww

↓このたび、残りの5曲もアップされましたので、よかったらご覧ください。

川の流れの如く

http://youtu.be/AYFmuGNq5QM

ナイトダンス

http://youtu.be/dPGX2xmIuSk

異国風の踊り

http://youtu.be/9x8-dixgOdk

ノルウェーの森

http://youtu.be/4nyTWMquLdQ

フェリアフェスタ

http://youtu.be/xLUekGrVn5Q

↓みなちがのオムニバスです

http://youtu.be/SHdGYFyWRew

こちらからも、「みんなちがってみんないい2012」で演奏した「ESSA-Hoi」の動画全曲が見られます。
http://www.youtube.com/playlist?list=PL6C7BF7E6AD2EDDDD

小さな恋のメロディ 初めて二人で観に行った映画

原題「Melody」1971 英国。マーク・レスター、トレーシー・ハイド、ジャック・ワイルド主演。

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前回、初めて一人で観に行った映画の話を書いたので、今回は、初めて二人で観に行った映画の話を書こう。

高校生になって間もない頃、中学時代の同級生Hさんから電話があった。
Hさんは中学2年の時のクラスメイトだった。
何となく気が合ってよく話したが、3年になって別のクラスになってからは話す機会がなくなった。廊下で会うと軽く挨拶を交わす程度になった。
そして、僕は男子校へ、Hさんは都立の共学校へそれぞれ進学した。
そんなHさんからの突然の電話だった。
映画を一緒に観たい、との誘いだった。題名を訊いた。
Hさんは明るい声で答えた。
「小さな恋のメロディ」

駅で待ち合わせ、一緒に電車を乗り継いで、有楽町の映画館へ観に行った。
ジャック・ワイルドのおどけた行動に、声をたてて笑うHさん。
僕は、左隣に座るHさんの横顔を眺め、心が和む自分を感じた。一緒に映画を観ることが出来て幸せだった。
そんなことがきっかけにもなって、大学に進んでも、社会人になってもHさんとの交際は続いた。。

Hさんのことをもう少し詳しく書いておこう。
僕が初めてHさんを見たのは、中1の夏。学校のプールだった。
水泳部に所属するHさんは、友だちとふざけて水を掛け合っていた。屈託のない笑顔。
小麦色の肌に水滴が弾けて光っていた。眩しかった。
その時すでにHさんは校内で有名な存在だった。抜群の運動神経の持ち主だった。ウエストは細く引き締まり、膨らんだ胸は中学生ばなれしていた。そのプロポーション、肉体美は全校生徒の憧れの的だった。

僕はただ遠くからHさんを眺めるしかなかった。
ところが、中学2年で同じクラスになった。Hさんは、成績が上位というわけではなかったが、国語の成績はトップクラスだった。学習態度は真摯だった。
席が近くになったことをきっかけによく話すようになった。 他愛ないお喋りだったが、心が弾んだ。
ビートルズが好きだということを知った。Hさんが教えてくれた曲がある。
「And I Love Her 」


Hさんは、自分の高校の文化祭も案内してくれた。明朗快活なHさんが人気者であることはすぐに分かった。
Hさんは持ち前の運動神経を武器に、柔道部に入部した。すで初段を取得し、活躍していた。
そして、アルバイトをして買ったカワサキの350のオートバイを乗り回した。
ワイルドだろぉ~! ジャック・ワイルド以上だぜ~!?
うん、、彼は、とてもワイルドだった。 

・・・ん?・・・彼?
そう、H君! 君は、もともと男の中の男だ!


P.S. この話は基本ノンフィクションですが、BLとは一切関係ありません。

The End

練習2012 No.15 2012.7.8

2012.7.8(日)ホール 18:00~20:30

(曲目)
 万葉の風
 Uki-Uki水汲みウォーク
 朝もや
 蓮花
 時の回廊
 異国風の踊り
 まほろば
 篠笛ソロ曲

・午後から気温が上昇。暑い日だった。雨は降らずに済み、ホッsun

 ステージ上で、トライアングルの配置にセット。

 久しぶりにほぼレパートリー全曲を練習した。

 フレーズを忘れてたり、もあったが、まあまあの出来かな。

 バッチリの演奏ってなかなかできないものだ。

 録音したものがどうだったか、少し気になる。
 
 夕食:メンバーと夢庵にて。チゲ豆腐、1辛(いちから)。
    キムチ系、久しぶり。美味かったhappy01
    辛い物は得意じゃないので、これで丁度いいgood


The End

イージー☆ライダー ワイルドでいこう!

「イージー☆ライダー」 は、私が生まれて初めて一人で観に行った映画だ。
1969年公開のアメリカ映画。日本公開は1970年。
ピーター・フォンダ、デニス・ホッパー、ジャック・ニコルソン主演。
コカインの密輸で大金を得た二人が、ハーレーを改造した「チョッパー」バイクに乗って気ままに旅する物語だ。

当時、中学生の私は、まだ乗れもしない車やバイクが大好きな少年だった。
ハーレーを型破りに改造した「チョッパー」に歓喜した。
異様なほどに前方へ長く伸びたフロントフォーク、リジッドに固定されたリアタイヤ、存在感を誇示するイーグルハンドル、バックレスト付きの低いシート。。
そこには限りなく自由で先進的なアメリカが具現化されていた。ポリスタイプのハーレーでは駄目だった。

とにかくやたらでかいバイクだ。
50ccのバイクですら操縦したことのないやせっぽちの少年にとっては、そんなモンスター・バイクを操れるというだけで、彼らは既にヒーローだった。

物語の内容は中学生に理解できるものではなかったが、ワイルドな映像は十分に刺激的かつ魅力的で、大人の世界、巨大なる国「アメリカ」の現代を見せつけられたのは間違いない。

↓は、その時購入したパンフレットだ。捨てることなくとってあった。
何て物持ちがいいのだろう。 我ながら笑えるhappy01

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イージー・ライダーと言えば、切っても切れないのがその音楽だnote
基本的に、既に吹き込まれたレコードの楽曲から構成されているのが特徴。
製作者ピーター・フォンダは、自ら選んだロック系ミュージシャンに協力を求めたのだそうだ。

↓「ワイルドでいこう!(Born To Be Wild)」は、ステッペンウルフによる大ヒット曲。
私はロックのロの字も知らない少年であったが、既存の音楽にはないロックのエネルギーを感じたものだ。
近頃流行りの「ワイルドだろ~」とは違うんだぜ~sign02



↓もう1つ、レヴォン・ヘルムに係る前回の記事でも掲げた「The Weight」by ザ・バンド
試写を見たザ・バンドは、ふさわしいのはこの曲しかない、と使用許可を与えたのだそうだ。

↓も1つおまけに「I Wasn't Born To Follow 」by バーズ


以上、すでに遠い昔となった1970年の思い出を綴ってみた。

The End

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★ライブの予定

  • ☆ライブ予定
    ☆10月28日(土)11時~国分寺市民音楽祭 西国分寺いずみホール エスニック・キッチン  ☆10月28日(土)神楽坂Mash Records 13:30~ 1,000円。Silent Storms(15:45~30分間)
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